ボートレース(競艇)は、2年に1回ペースで死者が出ている危険と隣り合わせの競技。その危険な競技にギャンブルをミックスさせ、最高のスリルと臨場感をあたえてくれて盛り上がる競技でもある。
今回は、そのボートレース(競艇)における事故や死亡事故について動画付きの記事にまとめた。好まない人もいるけど、、気になる人も大勢いるのでまとめ上げたよ。
競艇における事故の主なケースと要因
最近だと、2020年2月9日にA1選手の松本勝也さんが、尼崎でのレース中に転覆事故で亡くなったのが、記憶に新しいニュースだが、競艇では、主にどのような事故が多いのかを調べてまとめ上げたよ。
ボートレース (競艇)における多い事故は下の3つ
- 転覆後の後続艇の衝突
- 他の艇との衝突
- 岸壁への衝突
以上の3つになった。
特に多いのが転覆事故最近では2020年2月9日に松本勝也選手が事故で亡くなっている。
なぜ以上の3つのような事故が起きるのかという要因をまとめたよ。
転覆後の後続艇の衝突
競艇は時速80kmで走行し、ターンマークギリギリまで速度を維持しターンを行う。もしそこで操縦をあやまったり、波のタイミングが合わないとボートは転覆するんだ。特に第一ターンマークで1号艇が転覆した時はとんでもない大惨事になることもある。
とんでもない大事故だね。
他の艇との衝突
他艇との接触も、事故として多い。
ターンマーク付近は艇が密集しやすくなり、そこでの接触事故も多くなりますが、モーターの不具合や波に跳ね返されるなどで失速した艇に、後続の艇が突っ込んだりする事故も多くみられます。
下の動画は、2020年の6月26日の平高奈菜選手の事故動画。
この事故で平高選手は全治3ヶ月の骨折を負ったんだ。
平高選手生きてて良かった。。
ただ、この事故で平高選手は、骨折をして、全治3ヶ月の骨折をしたんだ。
その後、平高選手は復活して、レースにも参加しているよ!
腕より動かんモーター。。もう進んで無さすぎて、泣けた😭
— 平高 奈菜4450 (@nanu03447703) August 30, 2020
腕は、もう8割普通にレース出来ます❗
もっとターン、調整力磨いて頑張ります❗
応援ありがとうございました❗
サソリ食べたおかげでスタートだけは、完璧だった。。。笑))
平高選手生きてて良かった。
復活後は、サソリを食べてレースしたんだね(笑)(笑)
岸壁への衝突
岸壁への衝突は、時速80kmで走る艇がまがりくれなくて、コースアウトをしたり、他艇との競り合って外に吹き飛ばされて衝突する事故です。練習中の死亡事故も起きているケースです。
下の動画は中島康孝選手の死亡事故の動画だよ。
この事故で中島選手は26才という若さで亡くなったんだ。
この事故で、競り合っていた2852山本實 (岡山)の山本寛選手は2chで殺人鬼なんて言われたりもしている。
競艇は、白熱する分一歩間違えれば、死につながる危険と隣り合わせの競技だね。
故意ではなかったとしても、殺したと言われかねない競合いだよね。
競艇選手の死亡事一覧
競艇(ボートレース)において、現在(2020年11月)死亡事故で亡くなった方は、過去60年間で31名(訓練生を含めると32名)いる。(過去60年間)
過2年に1人のペースで人が亡くなっているんだ。
下に死亡事故で亡くなった方の一覧を表にまとめたよ!
年月日 | 選手名 | 享年 | 出身 | 登録番号 | 競技場 | |
31 | 2020年2月9日 | 松本勝也 | 48 | 兵庫 | 3529 | 尼崎 |
30 | 2013年11月2日 | 鈴木詔子 | 52 | 東京 | 2988 | 下関 |
29 | 2010年5月14日 | 岩永高弘 | 36 | 長崎 | 3861 | 若松 |
28 | 2007年2月26日 | 坂谷真史 | 26 | 福井 | 4048 | 住之江 |
27 | 2004年3月28日 | 中島康孝 | 26 | 愛知 | 4029 | 尼崎 |
26 | 2003年5月25日 | 木村厚子 | 38 | 埼玉 | 3196 | 津 |
25 | 1999年11月6日 | 沢田菊司 | 48 | 愛知 | 2546 | 平和島 |
24 | 1998年3月23日 | 伊藤公二 | 55 | 香川 | 1876 | 浜名湖 |
23 | 1997年9月4日 | 有吉貴之 | 27 | 山口 | 3526 | 津 |
22 | 1993年11月22日 | 水野定夫 | 48 | 愛知 | 1822 | 江戸川 |
21 | 1989年1月6日 | 清水正博 | 23 | 群馬 | 3366 | 桐生 |
20 | 1985年1月3日 | 宮本 力 | 37 | 栃木 | 2482 | 江戸川 |
19 | 1983年1月24日 | 安心院信行 | 30 | 大分 | 2753 | 三国 |
18 | 1982年1月23日 | 勝股 勇 | 38 | 愛知 | 1747 | 江戸川 |
17 | 1981年8月24日 | 花田龍美 | 34 | 埼玉 | 2310 | 大村 |
16 | 1978年8月14日 | 一瀬 隆 | 27 | 長崎 | 2467 | 大村 |
15 | 1977年9月30日 | 筒井博利 | 31 | 徳島 | 2189 | 若松 |
14 | 1973年10月7日 | 池田 博 | 52 | 長崎 | 1100 | 多摩川 |
13 | 1972年11月12日 | 石塚一雄 | 35 | 静岡 | 1335 | 平和島 |
12 | 1970年11月1日 | 蛇山 清 | 23 | 徳島 | 2356 | 鳴門 |
11 | 1968年10月14日 | 中村五喜 | 34 | 広島 | 262 | 唐津 |
10 | 1968年5月14日 | 半田弘志 | 29 | 群馬 | 1371 | 若松 |
9 | 1965年12月23日 | 中井紘司 | 24 | 東京 | 1874 | 芦屋 |
8 | 1965年3月23日 | 和泉定治 | 40 | 岡山 | 910 | 児島 |
7 | 1965年2月22日 | 川染一夫 | 35 | 岡山 | 1106 | 若松 |
6 | 1963年7月9日 | 大西 昭 | 31 | 徳島 | 148 | 常滑 |
5 | 1962年7月25日 | 小笠原政敏 | 28 | 長崎 | 1299 | 鳴門 |
4 | 1962年1月6日 | 中島常价 | 32 | 福井 | 591 | 琵琶湖 |
3 | 1954年2月25日 | 大井手善信 | 20 | 佐賀 | 863 | 唐津 |
2 | 1953年12月24日 | 横溝幸雄 | 34 | 長崎 | 37 | 唐津 |
1 | 1953年1月7日 | 西塔莞爾 | 29 | 三重 | 302 | 児島 |
20代で、これから活躍が期待されてる人も亡くなったりしてる。
水上でのレースが白熱する分、事故が多くなるのも仕方のない競技なんだね。
競艇(ボートレース)の事故をピックアップ
下に近年事故や珍しい事故をまとめておくね!
2020年2月9日の松本勝也選手の死亡事故
松本勝也選手の死亡事故のケースでは、松本勝也選手が第2ターンマークを旋回する際に、並みに乗り上げ転覆して減速し、後続の選手が追突しそのまま松本選手は死亡したんだ。
A1(1番高い階級)の選手でもこんな事故が起きるってことは、どんなレーサーにも起こりうる事故だね。
競走中投げ出され…後続艇接触 松本勝也選手が死亡
6日から尼崎ボートレース場(兵庫県尼崎市)で開催されている「GI第63回近畿地区選手権競走」の4日目が行われた9日、第9Rに出走した松本勝也選手(48)=兵庫支部=がレース中の接触事故により死亡した。外傷などはなく死因は不明。
1周目の2コーナーを回った松本選手が波でバランスを崩し、水面に投げ出されたところに後続艇が接触。すぐにレスキュー艇で救助されたが、地上に戻ったときには心肺停止状態だった。AED(自動体外式除細動器)などで蘇生(そせい)処置がとられたが意識は回復せず。搬送された兵庫医大(同西宮市)で午後4時12分、帰らぬ人となった。
松本選手は兵庫支部所属として、1991年5月18日に尼崎ボートレース場でデビュー。長きにわたり最高クラスのA1級選手として活躍。最高ランクレースのSG競走で2回の優勝戦出場実績があり、通算優勝42回。前日までに1798回の1着があった。
開催参加中のボート選手の死亡事故は、2013年11月、下関ボートで練習中だった鈴木詔子選手(東京)以来31件目。
引用元:サンスポ
松本選手ご冥福をお祈りします。
2019年11月6日 若松9レースの3号艇の妨害失格事故
この事故は、藤生選手がインに突っ込みすぎて、大事故になったんだ。
勝ちたい気持ちが先行してしまって、起きた事故だね
死者がでなくて本当によかった事故だよね。
2016年9月16日の消波装置を超える大事故
お客さんが後ろに引いちゃうような事故。
これは死者が出なくてよかったね〜。
2016年5月19日の訓練生の死亡事故
2016年には、訓練生の死亡事故も起きている。
ボートレーサー養成所(旧名称:やまと学校)での死亡事故は、初めてのことなので、業界全体に衝撃が走った事故だね。
https://www.boatrace.jp/owsp/sp/site/news/2016/05/1070/
2013年鈴木鈴木詔子選手の死亡事故

鈴木詔子さん事故死…下関レース前、全速状態で岸壁へ
下関ボートレース場(山口県下関市)で2日午前9時40分ごろ、レース前の練習に向かうためスタート位置に移動していた鈴木詔子選手(しょうこ=52)のボートが岸壁に衝突した。鈴木選手は頭などを強く打ち、午前11時9分、同市内の病院で死亡が確認された。死因は脳挫傷。長府署は操縦ミスやボートに不備がなかったか調べている。
同署や日本モーターボート競走会によると、鈴木選手はエンジンの試運転やスタート練習のため、昇降機で水面に下ろしたボートを移動させようとしたが、いきなり全速状態となり、約150メートル先の岸壁に衝突した。現場にいた別の選手は「通常はスタート位置まで低速で移動するが、鈴木選手は全速力だった」と話したという。
競走会によると、レース開催中における選手の死亡事故は10年5月14日、ボートレース若松での岩永高弘選手(享年36)に続いて30件目。鈴木選手は81年に選手登録し通算449勝、優勝5回。出走回数が4700回を超えるベテランだった。女子選手は全体の1割程度。関係者は「温厚で、彼女のことを悪く言う選手はいなかった。若手選手からの人望も厚かった」と話した。
引用元:スポニチ Annex
まとめ
今回は、競艇における死亡事故についてまとめた。
競艇は白熱する分、危険が伴うレース。
選手たちは、危険と隣合わせで競艇業界を盛り上げてくれてることを理解して、競艇を行おう!
皆も、楽しませてくれる選手たちに感謝しながら、競艇を楽しもうね!
[…] ソースからの抜粋: … […]